当社は1968年創業以来、これまでに3500台を越える製品を世に送り出してきた。私は、「ラベリングマシンが国内をはじめ、世界に受け入れられてきた技術的な背景がどこにあるのか」、「その技術が、どのような発想によって生み出されてきたのか」について、歴史的にたどりながら出願特許を中心に明らかにしようと考
ラベリングマシンの歴史は、光洋自動機の歴史
高度経済成長期の真っ只中、日本がGDPで初めて世界第2位になったときラベリングマシンの開発に取り組み始めました。会長山下 經一
当社は1968年創業以来、これまでに3500台を越える製品を世に送り出してきた。私は、「ラベリングマシンが国内をはじめ、世界に受け入れられてきた技術的な背景がどこにあるのか」、「その技術が、どのような発想によって生み出されてきたのか」について、歴史的にたどりながら出願特許を中心に明らかにしようと考
当社は1968年創業以来、これまでに3500台を越える製品を世に送り出してきた。私は、「ラベリングマシンが国内をはじめ、世界に受け入れられてきた技術的な背景がどこにあるのか」、「その技術が、どのような発想によって生み出されてきたのか」について、歴史的にたどりながら出願特許を中心に明らかにしようと考
現在、国内外のラベリングマシンの標準として採用されている1つの技術がある。それに与えた光洋の技術は大きいと考えている。では、その光洋の技術とはどんなものか。またどのような発想から生まれたのか。そうした視点からラベリングマシンの系譜をたどってみたい。現在、私の知るラベリングマシンとして最古のものは、
現在、国内外のラベリングマシンの標準として採用されている1つの技術がある。それに与えた光洋の技術は大きいと考えている。では、その光洋の技術とはどんなものか。またどのような発想から生まれたのか。そうした視点からラベリングマシンの系譜をたどってみたい。現在、私の知るラベリングマシンとして最古のものは、
目次 1970年代のラベラーの動向 ロールラベラーの開発 ロールラベラーの優位性 異種ラベルの混入を防ぐ
目次 1970年代のラベラーの動向 ロールラベラーの開発 ロールラベラーの優位性 異種ラベルの混入を防ぐ
ラベル送りの高速化を進めていく中で、高速送りと停止を繰り返してラベルをカットする(間欠ラベル送り機構)という考え方を捨ていっそのこと、連続ラベル送りでカットすれば飛躍的な高速化が図れると考えたものと思われる。間欠ラベル送り機構の最終版が完成した翌年(1980)には、連続送りに対応するロータリーカッ
ラベル送りの高速化を進めていく中で、高速送りと停止を繰り返してラベルをカットする(間欠ラベル送り機構)という考え方を捨ていっそのこと、連続ラベル送りでカットすれば飛躍的な高速化が図れると考えたものと思われる。間欠ラベル送り機構の最終版が完成した翌年(1980)には、連続送りに対応するロータリーカッ
2000年を前後して、ロールラベラーの一連の特許の権利が次々と消滅する中で、2003年に、10年20年先を見越して新型のロールラベラーの開発に着手した。これまでのロールラベラーの一連の技術を一旦捨てて、新しい技術を次々と生み出していくことになる。その当時、コスト削減や環境への配慮といった関心から、
2000年を前後して、ロールラベラーの一連の特許の権利が次々と消滅する中で、2003年に、10年20年先を見越して新型のロールラベラーの開発に着手した。これまでのロールラベラーの一連の技術を一旦捨てて、新しい技術を次々と生み出していくことになる。その当時、コスト削減や環境への配慮といった関心から、
1980年にはすでに、タックラベラー分野には多くのメーカーが参入し、定式化されたラベリングマシンとして確立されていた。それらは、台紙からタックラベルを剥がす剥離装置から直に、容器へタックラベルを貼り付けるという方式で、ハンドタックラベラーやユニット化したタックラベラーというものであった。ラベル供給
1980年にはすでに、タックラベラー分野には多くのメーカーが参入し、定式化されたラベリングマシンとして確立されていた。それらは、台紙からタックラベルを剥がす剥離装置から直に、容器へタックラベルを貼り付けるという方式で、ハンドタックラベラーやユニット化したタックラベラーというものであった。ラベル供給